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2024年4月20日 |
Duggy's ニュース速報 |
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安倍総理大臣が待機児童ゼロに向けた新しいプランを発表するということです。
「待機児童」問題は昨年に急に大きな問題となり、いつのまにか政治課題にまで格上げされています。 地域による格差はあると思いますが、筆者の周りの街の中にはいつの間にか保育園が急増しており、私鉄の駅に近くなればそれこそ1区画毎に保育園が有るような状況になっています。 その全てが認可保育園というわけでは有りませんが、商店街の周りの公園は保育園児でいっぱいという事が珍しく有りません。 個人的に思うのは、少子化問題は解決されていない筈なのに、こんだけ保育園が有ってもまだ足りないのだろうか?ということです。 筆者はすでに子育てを終えていますから、現代の子育て事情には全く詳しく有りません。 では、黙っていろ。と言われると思いますが、公的な資金を保育園に費やすとなれば、その費用を負担するのは私達ということになりますから、言いたいことは言わせてもらいます。 筆者が子育て世代だった頃も公的な保育園はキャパが小さく、申し込んでも家庭的な事象を考慮してもらわない限りは抽選に当たることは宝くじ並みに不可能でした。 これは今と大して変わっていないように思います。しかしながら、どうしても保育園に預けなくてはならなかった筆者家族は公立よりはるかに高い保育料でも構わず、必死に私設の保育園を探し回って預けたものでした。 なぜなら、預けて仕事に行かなければ収入が無くなるからです。 今、このように切迫した状況の中で保育園に空きがないからという理由で、収入が無い、つまり生活保護を受けるか死ぬしかないという状況の家庭はどれほどの割合なのでしょうか? 保育料の安い「認可保育園」に預けてから、自立できる方法を考えるということであれば、それは元々の日本の保育園の成り立ち方から言えば本末転倒です。 そうではなくて、保育園というものの存在意義自体を変えて「子育てを支援する社会的に重要な仕組み」で「共働き世帯の就労支援」だけでは無い。という主張をするのであれば今の状況も納得が行きます。確かに「社会的に重要な仕組み」という捉え方をすれば圧倒的に「認可保育園」は不足しています。 しかし、ここで問題なのは行政側にも政治家にも、ましてや子育て世代以外の一般社会においても保育園がそのような「社会的に重要な仕組み」という認識が無いということでは無いでしょうか? 認識が無い方が悪いのか、それとも啓蒙活動が足りていない方が悪いのか、いずれにしても社会の中での切迫感に世代間の温度差が有りすぎます。 結果、子育て世代に対する反発を感じる熟年世代も少なく無い状況になっています。 世代間ですれ違った価値観をぶつけ合っている状況が「待機児童」が解決しない状況なのだと思います。 保育園を義務教育の一部のように捉えてしまって、「預けないと負け組」と感じてしまっている世代と「就労支援」としか捉えていない世代の認識のズレをまず解消しなくてはなりません。 それには、こういう風潮を作ってしまったメディアが勇気を持って「預けないと負け組」神話を否定するか、肯定するのであれば社会的な啓蒙活動を本気でメディアが率先して行うべきです。 筆者は「待機児童」問題は雑誌を含めたメディアが作り出した事だと考えています。 「待機児童」問題にメディアが飛びついて行政批判をするべきでは無いと思います。 安倍首相待機児童ゼロへ6月に新プラン NHK NEWS WEB |
2017/03/04 22:11 |
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